尾崎といた日々(4/25)

尾崎豊。

アラフィフの私たち世代では彼の名を知らない人はほぼいないだろう。

今日は彼の28回忌。

テレビで彼の特集をやっているのを見て、そのことを思い出した。

彼の音楽を初めて聴いたのは、高1の時ラジオから流れてきた「卒業」だった。

今までにない衝撃を受け、翌日は友だちに言いまくり、放課後は貸レコード屋へ走ってファーストアルバム「17歳の地図」を借りた。

それから、録音したテープを毎日何度も聴いた。

程なくセカンドアルバム「回帰線」が発売され、一躍スターダムにのし上がる彼をリアルタイムで見ていた。

高2になると同じクラスの彼のファンと意気投合し、チケットがないのに代々木オリンピックプールのライブに行って外で聴いたり、文化祭では彼の音楽を使った映画を撮ったりした。

初めて生で彼の姿を見たのは、有明コロシアムでのライブ。

私は大学受験に失敗した浪人生で、彼はサードアルバム「壊れた扉から」をリリース後に活動休止し復活を果たしたところだった。

浪人生のストレス発散もあったかもしれないが、あの日ほど歌い叫んだライブは後にも先にもないかもしれない。

その後私は大学生になったものの馴染めぬ日々を過ごし、彼は覚醒剤で逮捕されたものの釈放され結婚をした。

伝説の「夜のヒットスタジオ」での熱唱はこの頃だった。

翌年以降、私はテニスサークルに居場所を見つけ、車で聴く音楽はミスチルやドリカムになった。

一方、彼は子どもが生まれ、歌う歌詞の内容も変化していった。

彼が亡くなった日のことは、妻に言われて思い出した。

彼女と待ち合わせしていた場所に、私が彼の訃報を報じる号外を持って現れたというのだ。

すでに彼の音楽を聴くことはほとんどなくなっていたし、悲しくて涙が出るようなこともなかった。

ただ、心にぽっかり穴があいたような、自分の大事な何かを失ってしまったような気持ちだったように記憶している。

護国寺での葬儀にも行かなかったが、没後代官山にできたファンのコミュニティ・スペース「Cafe Artery&Vein」には一度一人で足を運んだ。

彼の存在や音楽は、私の中に今でもわずかに残る無垢さを呼び覚ましてくれるものであり、それを晒すことを躊躇しながら日々過ごしている自分への戒めのようなものなのかもしれない。